WHO(世界保健機関)が新型コロナウイルスの流行をパンデミックという認識を発表したのが2020年3月。それからひと月ほど経ち、日本においても、医療関係と生活必需品を扱うお店以外はほぼ休業の動きとなってきています。そんな中、この「不安な環境で仕事してくれているすべての人々に感謝しよう」という声が、SNS上でも、世界的なセレブリティの間でも広まりつつあります。Googleのトップロゴも、4月6日から、ある仕事に従事する人々への感謝を示すものが表示されます。
“Thank you(ありがとう)”
しかし、「不安な環境で仕事してくれているすべての人々に感謝しよう」という文脈で発せられる、この美しい言葉を聞くたびに戸惑っています。嫌だろうが何だろうがやらざるを得ない状況にいる人々に、「ありがとう」ということが、彼らを追い詰めることになりはしないかと。SNS上で聞こえてくる「医療現場はもう限界」「スーパーで働いてても怖い」「会社は現場に消毒液も何も手配してくれない」という声たちを無視した、一方的な感謝になってはいないかと。自分が代わる気はないのに、相手を辞めさせないための、切り札になりはしないかと。何より、「ありがとう」と言うことで、自分が安心するための言葉になってはいないかと。
「苦闘、恐怖、悲痛… 新型コロナ最前線で闘う医療従事者たちの現状」(AFPBB News, 2020.4.15)
「神奈川県医師会が、「不安をあおるメディア」に投げかける疑問 「医療現場の現実を、知ってもらいたいのです」(J-Castニュース, 2020.4.18)
もちろん、「ありがとう」というとき、人は本当に相手の尊い労働を思い、ねぎらっていることは理解しています。ですが、今必要なのは、遠くからの感謝ではなく、日々の行動だと思います。つまり、感染しない・させないために、人が密集する場所は避ける。買い物はなるべく一人で。レジ待ちも袋詰めも、隣の方と間隔を空ける。政府の対策が不十分と思ったら、SNSでも何でもいいのでそのように発信する。現在の対応に問題があるのだとしても、病院で検査できないと言われたら、それに従う。そして、現場で応対してくださる方には、目を見て「ありがとう」と言う。相手への敬意や感謝は、そのような形で示せばいいのではないでしょうか。
コロナの不安が解消されたときこそ、社会全体で「彼らにありがとう」と言うべきであって、不安な状況の真っただ中にいる今は、「彼らを守ろう」という方が、ふさわしいのではないかと考えています。
「今必要なのは、遠くからの感謝ではなく、日々の行動だと思います。」
本当にその通りだと思います。今一番必要なのは、一人一人の当事者意識ですね。
「ありがとう」が、自分を安全地帯におくための、今目の前で起こっていることを他人事にしてしまうためのことばになってしまうかも、という危険を、mikoさんの文章から教えていただきました。
ありがとうございます!
tadashi さん
コメント有難うございます!ご返信が大変遅くなりました。大変申し訳ございませんでした。
私はこれまで、「ありがとう」という言葉の影の部分を、考えたことがありませんでした。
個人の心からの思いからならともかく、ひとたびそれがムーヴメントになると、人の心を往々にして麻痺させます。目をくらませます。
今回の出来事から、以下の記事も思い出しています。
「『Facebook』プロフィールをトリコロールにする前に考えたいこと」
https://news.yahoo.co.jp/byline/fujiiryo/20151115-00051471/
誰にとがめられるはずもない、「人に心を寄せる」という美しい思いが、ハーメルンが吹く笛になりはしないかと、私は危惧しています。